大学受験と自由英作文。

受験生と、受験生を支える人を応援してます

集中力は、ムラ気なハイペースとは違うよ

のこの時期、受験生はその一日のほとんどを勉強時間にあてていることでしょう。一日10時間くらいかな?・・・ 

で、その10時間のうち全て集中しているっ!という人はいないでしょう。これはヒトとして当然。ですが、なるべく集中の度合いを高めて効率よく進めていきたいものです。

 

ケアレスな状態で勉強したって、身につかず、同じことを何度もしているだけかもしれない。

 

理解を深めるため、これと定めた問題集を周回するのはアリですが、理解・定着の段階で同じことを何周もしなくちゃいけないのはつまらないしくやしいし、苦手意識の源になってしまうかもしれない。

 

だからこそ、集中してひとつのことに取り組み、定着させて応用演習という次の段階にはやく進みたいのですが。。。

 

集中力とは、訓練して身につけるものです。自分を「集中した状態」にもっていけるコントロール力のことです。

 

10時間勉強していて、自分が意識的に自分を「集中した状態」にもちこめているならOK。

10時間勉強していて、全然進まずのろのろしている時間帯を経て、急に気分がノッてきてガーッと進み、疲れたので休憩→ペースダウンの時間を挟んでからまた急にいい調子になってくる・・・残念ながらこのようなスタイルは、集中状態へのセルフコントロールができていません。

 

「今日は〇ページ進んだから上出来!」

     ・・・大学受験勉強はすごろくではありません

 

量も大切ですがどの程度自分の理解が深まったか、その度合いも気にして毎日を過ごしてください。

この夏で自分を集中できる状態にコントロールできるようになれば、より時間が少なくなる秋以降も上手に時間資源を使えるようになるでしょう。

 

 


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英文法をモノにするために

前回のエントリーで、大学受験者の英語学習には文法理解が絶対に必要であると書きました。必要性をアピールするだけでは不足なので、今回は「英文法をモノにするにはどうしたらよいのか」の原点について考えてみます。

 

 文法すなわち英文構造理解はとりもなおさずS=主部、V=述部、O=目的語、C=補語、M=修飾部の識別から始まります。おそらく高校生になりたての頃に学校で習う人が多いでしょう。また、実験的な試みを行う学校では教わらなかったという人もいるでしょう。

ところがこれらを「意味わかんねぇ」「〇〇に、なら目的語でいいんだろ←日本語の助詞ルールに寄せて理解しようとするとこういう誤った理解になり、here/there/homeをいつまでも目的語にしか解釈できない病気を発症してしまう)」と甘く甘くみてしまい、その後の大学受験にむけた英語学習で苦労するのです。

 

SVOCMの識別が出来ないということは、英文構造を読み取ることも英文構造をつくることもその上達に早いうちに限界がくることを意味します。

 

英会話においては、途中で言い直したり、主語を変えて話しなおしてもなんら問題はありません。でも、大学受験の場で要求される英文解釈や英作文は、ひとつの答案上に、自分の考えた日本文や英文を採点者に伝えるべく構造体としてのっけないといけない。

 

英会話は複数の文体・表現をほぼ同時にくり出すことができるけれど、書き答案はその複数のアイデアから「自分はこれが適切な解だと思う」というものを定めて、提出しないといけない。

構造体として完全である(満点解答かどうかは別。非文でないことが必要条件。)ためにはSVOCMがそれぞれしかるべき配置にあり機能を果たしている必要があり、それができるようになるために必要なのが英文法の土台なのです。

 

Sになれるのはどんな品詞か?どんな形になっているべきか?

Vが、そのSに対してとるべき形は合っているか?時制・態・数は正確か?

Oは、Vの性質と矛盾なく配されているか?日本語部脳では自動詞/他動詞の区別を意識しないが、英語においては不可欠の区別なので、個別の動詞をしっかり覚えていないとOが要るのか要らないのか判断できなくなってしまう。

Cも、SとVの性質そして動詞によってはOとの関係と矛盾なく用いられているか?

 

これらはすべて、英文をひとつの構造体にするための

パーツ、材料です。意味は、あとからついてきます。

それらの材料の働き・・・もつ力を理解せずにひとつの構造体を作ろうとするのは、設計なしでモノを作ろうとするのと同じです。

たとえば、設計図なしで家をつくる人はいませんね。

構造理解なしで受験英語を得点源にしようとする人は、やはり間違っているのでしょう。

 

むしろ物理が好きな理系の人の方が、英文法を理解し習得するのが早くできる気がするんですけど。

 


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大学受験の英語学習に文法は不要か

本人は英語学習がほんと大好きだと思います。

適度に知的で、手ごろな教材もふんだんにあるし、ニュースとかのインタビューが字幕や同時通訳を待たないで理解できるという明快な技を披露することもできます。

 

でも大学受験の場になると、「文法とか意味わかんねぇ」「単語覚えてフィーリングで乗り切る」という生徒がゴロゴロ。まして英語4技能を評価しようという新しい入試が始まるとなったら余計に「英語は単語を鬼のように覚えて乗り切る」という、まちがったハラのくくり方をする高校生・受験生も出てくるかもしれない。これでは日本の高校教育の大きな失敗例になってしまうでしょう。今でもその気配あるのに・・・

 

文法は英語という言語をまず受動的に理解し、つぎに能動的に使用するためには絶対に必要です。

 

「文法不要」をうたったメソッドでも、スタート地点では文法無視していてもいずれは文法を意識しその使用の正確さを上げていかないと、英会話はしのげても書く技能においてレベルアップできなくなります。

「流暢にしゃべれるのに、書かせたら意外に・・・」というヒトが出来上がりそうです。

若いうちはいいけれど、アカデミックやビジネスの場面ではレポートは会話調で書くわけにはいかない。しかるべきレベルの形式・構文を備えているのが当然です。その知識や書く経験・訓練が、文法学習で習得されていくはずなのに。それを、その習得機会を、ひとつ無視するの?とても不思議な学習理論ですね・・・文法不要論って。

 

海外の大学に進学したいのなら破天荒に突き進んでもいいのでしょうが、おそらく大多数の高校生・受験生が日本国内の国立上位大学への進学を希望しているのなら、文法理解すなわち英文構造の理解は絶対に必要です。

 

苦手意識があるからといって

「俺は文法ナシでどうにかなる!してみせる!」なんて

妄想に惑わされないようにしましょう。

 

 


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通信講座教材がたまる

「アルファベットの最後の一文字」会とか「良く生きる」社のとか

通信講座を自分の勉強にくみこんでいる受験生も多いことと思います。

 

       通信講座教材の王道・活用法については後日述べるとして・・・

 

夏休みに入り、気がつくと前学年分から提出が滞っているという人も多いでしょう。

課題提出どころか、届いたままの状態で部屋に積んであるという人もいるでしょう。

私はこの状態を責められません。思い起こせば私も高校生の時分、B社の教材を「購入」していただけで放置していました。

でも、あの通信講座教材の有効な使い方は、毎月キチンキチンと提出することではない、と思いますよ。

 

毎月提出することに達成感や自信を見いだせる人はそうすればいい。

しかし毎月の提出ができなくなった瞬間から、精神的な負担になっていく・・・

お金を出した親に「アンタあれやってんの?」と聞かれた日にゃ・・・

聞かれて「時間がなくて」と本当に本当のことを言ったのにすっごく不満そうなカオされて・・・

確実に不幸スパイラルの源でしょう。

 

もうこうなったら、この夏休みで一気呵成に踏破するのがベストです。

前学年のものだと教科書レベルの演習から始まる構成なので受験学年になった今の自分に「手が出ない」なんてことはない!

「え、これ知ってる。わかる。できる。」とサクサク解けてしかも意外にマルもつく。

教科書レベルから模試レベル、過去問レベルのそれぞれのギャップを埋めるのにちょうどよい感じなのです。

教科書だけやっていても、(英語だったら)ネクステやポレポレなどやっていても、もうすこし骨のある次の段階の教材に当たっていかないと力はつかないのです。

通しレベルで、スピード感をもって演習量を増やすため、たまっていた通信講座教材は夏休みにやりこむのが正解でしょう。

 

 

てゆーかこれが最後の活用タイミング。

夏休みの時期を逃せば手遅れに振れてしまう。。。

 

 


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赤本とか青本 買った?

受験生は、すべての教科・科目がダメ!できない!というケースは少ないのではないかと。大体なんらかの傾向があり、メジャーなのが「理系で英語/国語/社会が伸び悩んでいる」「文系で数学/理科が後回し気味」・・・ってところではないでしょうか。

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苦手なものの攻略法はいたってシンプルで、

基本に立ち戻ってやりこむ 

これしかないでしょう。

 

一方で、得意としている教科・科目はこの夏はどんどん過去問演習して強みをより先鋭させた方がよいと思います。

 

しかしここにも落とし穴が。

それは赤本収集癖

国公立の第一志望校+有名私大複数校(学部)の赤本または青本を購入し、机や本棚に並べる。その光景は一気に己の周囲を「受・験・生・モード」に染め上げてくれる。

周りの人間も「オッ?」てな感じに反応してくれる。

その変化は、演出されたものだけれど、「よーしやるぞっ」という気分をアゲてくれるのは間違いない。

 

でも、もしかしたら、それはただの赤本収集癖の顕示かもしれない。

赤本や青本は、過去問の集積ではあるけど、そこについている解答例や解説はあくまで一例にすぎないので、盲信してはいけない。だから赤本・青本を20年分解いたのに・・・残念な結果になってしまう人は、素直すぎて赤本・青本に依存しすぎてしまう人といってよい。本質を見失った人といってよい。

 

赤本や青本はアクセサリーじゃない。

これからは大学受験改革の動きに沿って、出題形式の変更はあると思うのが当然

赤本や青本は、その大学がこれまで求めてきた学力レベルや処理速度を知るツール、ただそれだけだ。

形式への慣熟は、学力ではない。それはただの気休め。

過去問を信じすぎてはいけません。

そんなウブでは、強くなれません。

 

 

 


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